「製品の不具合根絶を目指す。」
弊社工場にて加工製作される製品群は、工場内 でのヒューマンエラーに加え、支給図面の作図 ミス、保留や変更の為の作業の重複等、様々な 不具合発生要因を抱えながら製作されている。 常に工程ごとに製作中の製品チェックを心掛 け、出荷後の不具合を無くせるよう、日々製品 管理の眼力を向上できるよう努めている。
「今日を頑張れば、未来はきっと笑顔でいられる」
従業員、家族、取引先、かかわるすべての人と 企業が明るく幸せな明日を迎えることができる ように、今を考え、行動していくことが大切だ と考えています。 当社も55年の年月を過ごせてきたのも、かかわ ったすべての人のおかげであり、感謝の気持ち を忘れずにいたいと思います。
「長年紡いできた、ひととの繋がりを大切にして」
弊社は1872(明治5)年に創業、2022年に創業 150年を迎えました。私たちが造るものは地図 に残る仕事。一人ひとりの磨き抜かれた技術、 日々の確かな業務の積み重ねが大きな信頼へと 結びつき、人々の暮らしの身近な構造物となる 誇りを胸に、チームワークから生まれる「高品 質、スピーディー、省力化」の三本柱を基本に、 無から形あるものを造り出す喜びが私たちの大 きな原動力です。
私たちは、地域の人々の暮らしに貢献出来る金 属加工業として信頼を得られるよう、製造技術 の向上に努めます。
「人と技術で明日を築く」
当社は初代髙木常吉が、戸田家第9代戸田光則 公の鉄砲鍛冶より独立し、明治2年の創業よ り、150余年の歴史を刻んでまいりましたが、 その間多くの皆様方に助けられご指導いただ きながら今日では建築鉄骨を主体とし、設備工 事、ステンレス加工も一貫して加工できる体制 を整えることができました。キャッチフレーズ の【人と技術で明日を築く】を礎とし、今日の 技術革新、労働環境の目まぐるしい変化に対応 しながら、地域社会に貢献し、新しい時代を築 けるよう社員一同邁進してまいります。
「地元に愛される企業を目指す。」
我が社は、先代から続く、地元農家の車庫、倉庫 建築及び山車の輪締め、木造建築物の金具製作な どを残しつつ、現在はシステム建築等の胴縁加工 を主な業務として取り行っています。 それと、農機具の修理等の鍛冶仕事も地元の要望 により、継続させて頂いております。先代より代 表を交代して、ようやく10年経ちましたが、ま だまだ未熟会社ではございますので、諸先輩方の ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。
「技術を磨き、社員一丸で鐵の未来に挑戦し続ける。」
弊社は明治25年(1892年)の創立以来、一世紀以上にわたって鐵と共に歩み続けてまいりました。時代の変化と共に鐵との関わり方も変わってまいりましたが、鐵への情熱は変わる事はありません。鐵の限りない未来に挑戦し続け、従業員と共にさらなる躍進を図ってまいります。そして「継続は力なり」の教えを守り、「凡事徹底」を社是とし、お客様に満足いただける品質・技術の追求に努めてまいります。
「納期厳守・高品質・誠実な商売」
当社は創業より地域に密着した「火の見櫓」等の施 工や「国鉄(JR)軌道関係・高架橋」等の国のイ ンフラ整備事業と共に成長し、現在の建築鉄骨製造 業へと70年余りの道のりを歩んで参りました。厳し い経済情勢が続く昨今ですが、これらの経験を踏ま え「至誠天に通ず」をモットーに、限られた予算内 で「納期厳守・高品質・誠実な商売」を遂行し、信 頼され社会に貢献できる企業となれる様、日々「勇 往邁進」の精神で努力していく所存です。
「私たちは技を磨き、真心を込めて、鐵の文化を未来へつ なげていきます」
当社は1929年2月、初代倉科勝男が神林3635の地に創業しま した。勝男は当時広丘にあった「無雁」という鍛冶屋の親方 の元で7年間の丁稚奉公を経て独立したそうです。太平洋戦 争中は工場を半地下に改造して手りゅう弾などを作ったこと もあったようです。1969年に一ノ瀬鐵工所さんと共同で現 在地(神林3878)を開発、移転し、時代に沿って業容を移 行しながら現在に至っています。冒頭の理念は現社長賢三が 子供の頃より創業者の祖父や2代目である父親の季男から常 に聞かされてきた「心構え」をまとめた言葉です。この理念 を大切に社員の皆さんと歩んでいきたいと考えています。
「信用ある会社を目指す」
ものづくりは社会に欠かせない。 だからこそ信頼できる仕事をしなければならな い。そのために努力を怠らず、技術の向上を目 指す。 また、資本は人であり人材は最大の財産である。