「地元に愛される企業を目指す。」
我が社は、先代から続く、地元農家の車庫、倉庫 建築及び山車の輪締め、木造建築物の金具製作な どを残しつつ、現在はシステム建築等の胴縁加工 を主な業務として取り行っています。 それと、農機具の修理等の鍛冶仕事も地元の要望 により、継続させて頂いております。先代より代 表を交代して、ようやく10年経ちましたが、ま だまだ未熟会社ではございますので、諸先輩方の ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。

「技術を磨き、社員一丸で鐵の未来に挑戦し続ける。」
弊社は明治25年(1892年)の創立以来、一世紀以上にわたって鐵と共に歩み続けてまいりました。時代の変化と共に鐵との関わり方も変わってまいりましたが、鐵への情熱は変わる事はありません。鐵の限りない未来に挑戦し続け、従業員と共にさらなる躍進を図ってまいります。そして「継続は力なり」の教えを守り、「凡事徹底」を社是とし、お客様に満足いただける品質・技術の追求に努めてまいります。

「納期厳守・高品質・誠実な商売」
当社は創業より地域に密着した「火の見櫓」等の施 工や「国鉄(JR)軌道関係・高架橋」等の国のイ ンフラ整備事業と共に成長し、現在の建築鉄骨製造 業へと70年余りの道のりを歩んで参りました。厳し い経済情勢が続く昨今ですが、これらの経験を踏ま え「至誠天に通ず」をモットーに、限られた予算内 で「納期厳守・高品質・誠実な商売」を遂行し、信 頼され社会に貢献できる企業となれる様、日々「勇 往邁進」の精神で努力していく所存です。

「私たちは技を磨き、真心を込めて、鐵の文化を未来へつ なげていきます」
当社は1929年2月、初代倉科勝男が神林3635の地に創業しま した。勝男は当時広丘にあった「無雁」という鍛冶屋の親方 の元で7年間の丁稚奉公を経て独立したそうです。太平洋戦 争中は工場を半地下に改造して手りゅう弾などを作ったこと もあったようです。1969年に一ノ瀬鐵工所さんと共同で現 在地(神林3878)を開発、移転し、時代に沿って業容を移 行しながら現在に至っています。冒頭の理念は現社長賢三が 子供の頃より創業者の祖父や2代目である父親の季男から常 に聞かされてきた「心構え」をまとめた言葉です。この理念 を大切に社員の皆さんと歩んでいきたいと考えています。

「信用ある会社を目指す」
ものづくりは社会に欠かせない。 だからこそ信頼できる仕事をしなければならな い。そのために努力を怠らず、技術の向上を目 指す。 また、資本は人であり人材は最大の財産である。

「良い製品を作る努力を惜しまない」
当社は先代社長の横澤定男が地元で小さな金物 仕事を扱うことをきっかけに創業しました。周 囲の皆様からご指導・ご鞭撻を賜りながら今日 を迎えられております事は感謝に堪えません。 現在は主に建築鉄骨の梁加工を行っていますが、その技術も日進月歩で要求される内容も高くなってきています。そのため高品質の製品を常に提供できるよう社員一同努力を惜しまない様に 心がけています。

「鉄で人とつながり 街を築る 鋼造の技術力と 品質の躍進を目指す」
安曇野の堀金村にて創業以来、地元の皆様を始 め多数の皆様のご支援により現在まで歩んで参りました。私たちが手がける建築鉄骨は街中にずっと未来まで形に残ります。これからもより一層の品質と技術を追求し、子どもたちの未来 に誇れるような建物作りを心がけ「品質の向上 に努めお客様の要望にこたえる」様に努力しつ づけます。より一層のご支援よろしくお願い申し上げます。

「信念・誠実・技術の前に道は開かれる」
当社は創業以来、製作金物・スチールサッシの製造を経て、現在の建築鉄骨工事を主体とした企業に成長しています。平成初期に迎えた工作機械の自動化の波に乗り、鉄骨製作工程の各部門にいち早く設備導入を行い、製品精度向上、溶接品質の均一化、仕掛時間の見える化を実現して参りました。選ばれる会社から選べる会社へ。そんな会社の変革にこれからも一層ご支援とご愛顧を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。